たつみのまど その1 前半 

たつみのまど とは

鋳物素人編集者 なかむら が社員のみんなにインタビューして鋳物や辰巳工業について知っていくコーナーです。だいたい月1回の更新予定です。


はじめまして。辰巳編集者なかむらです。記念すべき第1回目のコラムはやはり弊社の看板!辰巳 毅社長に話を聞いてみました。社長は野球をやっていたとのことで野球人生についてインタビューしてみました。

なかむら

社長、今回はインタビューを受けてくださりありがとうございます。野球をされていたと聞きましたが、いつ頃からされていたんですか?

社長

野球好きな両親と友人の影響で小学1年生の頃からやっていました。肩も強かったので2年生の頃には上級生に交じって試合に出ていました。練習が嫌で仕方がなかったのですが、父のスパルタ指導のお陰か試合で負けた思い出も少なく、将来を有望視されていたように思います。

なかむら

小学1年生から!かなり小さい頃からされているんですね。


中学校では鳴り物入りで野球部に入部するも、完全に天狗状態で言う事聞かず。当時は下級生が前に出ることをよく思われなかったこともあり、先輩から目を付けられることもありました。体中ケガだらけでしたが、桑田選手や清原選手に憧れて甲子園を目指し、女の子にモテたい一心で我慢して続けてました。それでも何とか地域では強い学校のエースピッチャーでした。「エースで4番じゃないとやらない」と監督に直訴したこともありましたね。

なかむら

女の子にモテたい……思いがけず不純な理由でした。

社長

高校では地元の公立高校では上手くなれないと思い、有名な監督が所属する私立高校へ入学しました。西部警察の大門ばりのサングラスをかけた鬼監督にしごかれました。雨が降っても広島カープと同様の雨天練習場を有していたため、練習が休みの日は年に2日あるかどうか…。

なかむら

雨天練習場があるなんて…さすが有名監督が所属する学校。練習がいつでもできる反面少しくらいはお休みしたいものですね。

そうなんですよね…

そして、中学生の頃負ったケガが全く治らず、思い通りに動かない体と厳しい上下関係。さらに全国から上手い選手が集まっており自分の実力を思い知りました。
どうしても甲子園には出場したかったのですが夢破れるどころか高校3年生の夏の予選ではこれまで常に貰っていた背番号さえも貰えず我慢するしかありませんでした。
周りは野球で大学に進学するも自分には無理であると分かり、悔しさから独学で試験までの数か月間勉強漬けで入試試験に挑み、運よく大学に入学することができました。

調子のよかった始まりから一転、高校生あたりからちょっと雲行きが怪しくなってきましたね。
さて、社長の野球人生のお話ですが今回はここまで。
後半部分は後日公開したいと思います。

Follow me!